『ほんとうに?』
『嘘はいわないよ。ゆびきりげんまん』
『…! はいっ』
いつだって、その笑顔は、春を呼ぶ。
――今日、クロキアの使者が来て、桜の降嫁を願い出てきた。
夕方、顔を真っ青にした新が転がるようにして屋敷にきた。帝の側近として身辺に侍る守人の家系「鴉」である新は宮中のどの職よりも情報網が早く、正確だ。
謁見の途中、桜は気分を悪くしてその場を辞した。その後主上は色好い返事を出さず、勅使を返したらしい。
物忌みでなければ、内裏に駆け付けたかった。
蒼牙は苛立たしげに窓辺によりかかり、空を見上げる。まだ月は中天に位置しているから、朝が来るのはずっと先だ。
眠るつもりはない。朝一番で殿上して桜に会うつもりだ。
舌打ちをして、海神家の剣の鞘を握りしめる。こつん、と柄に額をあてた。
「さくら…」
かすれた声で名を呼ぶ。幼いころからずっと護ってきた少女。護りたいという想いは、いつしか愛しさに変わって。
最近では桜の手や頬に触れるたびに力が満ち満ちる気さえする。時折見せる笑顔は、春の日差しのように温かだ。
このままの関係が続き、ずっと傍にいられる。
根拠のない自信もあった故に、今回のことは青天の霹靂だった。
もどかしくて仕方がない。
夜は、こんなにも長かっただろうか。
心を鎮めようと長く息を吐く。ふと、水の気配をかすかに感じ取った。
瞬きをして、剣を傍らに置いて、もう一度窓から空を見上げる。
ちれぢれの雲の狭間から白い蛇体がおどりあがる。月の下にさらされた銀の鱗は白くきらめき、紫苑のたてがみが風にあおられた。
「浅燈」
そう呼ぶと、白龍は花緑青の瞳を丸くして、蛇体をうねらせて海神の屋敷に急降下し始めた。
あわや屋敷に突っ込む寸前、白龍は空色の水干をまとった5、6歳の少年に変化する。
部屋におりたつと、浅燈は荒い呼吸を繰り返しながら、主に走り寄る。
「わかさま…。ひめさまが…」
「…どうした?」
ひきつった息をそのままに、浅燈は真っ青な顔でつづけた。
「…わかさまの、…ひめさまのごえいの、にんむをとく…って」
「な……っ!」
さっと顔から血の気が引く。ぎり、と歯ぎしりをして、拳を握り締めた。
それから蒼牙はすぐに剣をとって、窓辺に駆け寄り、躊躇いもなく飛び降りた。慌てて浅燈も続く。
「わかさまっどこいくんですかっ」
「内裏だ!」
地面に膝をばねにして着地すると、そのまままっすぐ厩に向かう。
派手な音をたてて厩の扉を開くと、青毛の馬が、ぴくりと耳を動かして蒼牙を見た。蒼牙は駆け寄って柵を外しながら馬に話しかける。
「風早、寝てるとこ悪いけど、内裏に行くぞっ。浅燈は残れ」
風早は了解したようにヒン、と鳴いた。おとなしく蒼牙に鞍をつけられるのを待っている。
まろぶように追いついた浅燈は悲鳴交じりの声をあげた。
「わかさまっいまはものいみですよっ」
「知るか。風早っ」
風早の腹を蹴ると、風早は飛び上るようにして駆けた。後ろで叫ぶ浅燈の声があっというまに遠くなる。風早の駆ける音だけが都の小路に響きわたった。
途中で帰還する牛車と徒歩の役人の多さに焦りが募ったが、どうにか半時もせずに内裏に続く白神大路に出られた。