凄絶な神気に抱かれる社で、齢十に届くかとどかないほどの華奢な少女が一心に祈っていた。
白木でつくられた祭壇には円い鏡が飾られ、橘の葉が左右に捧げられている。
祭壇の後ろには壁がなく注連縄が張り巡らされた巨木の幹がせり出していた。
「たいらけくやすらけく。--しずまりたまえ」
柏手をひとつ。少女の声が凛、とその場に波紋を落とす。注連縄がかかった巨木が燐光した。
少女の額にまかれた白い布がひらりとなびく。ゆっくりと瞼をあげて、少女は肩の力を抜いた。
先日、伽羅と沙羅の間で不可侵条約が結ばれ、戦は幕を閉じた。おおくの悼みと苦しみを残して。
それからささやかにも時が流れ、両国の戦の傷跡が落ち着いた頃合いをみて、沙羅の巫女姫と伽羅の大神官が、殉死していった互いの国の武官の弔いの儀式を行った。
行われた場所は両国の狭間に浮かぶ雲居の島。祭事の間、海が凪ぐことはついぞなく、凍った風が頬を撫で。
その後都に戻っても、桜は本殿にこもり、禊を繰り返しては祈る毎日を送っていた。初めこそ柑子を口にすることはあったが、段々とそれは減り、潔斎だと称して何も食べなくなった。
外で皆が心配していることは分かっていたが、戦災で散った御霊を癒し、黄泉の路をしめす役目を終わらせるまではここを一度たりとも出ない。と「巫女姫」の自分が宣下すれば兄の帝も口は出せない。
桜の意志に加担するように神域にある白の神殿の本殿の神威は増し、並の人間では入ることが不可能なほどの清浄さを保っているのだ。
それがいま、だんだんと緩んでいく。
桜はふらりと立ち上がった。どのくらいの時がたったのだろう。鏡にうつる自分の顔貌はまるで死人のようだ。
肌は色を失い、頬もこけ、簡素な装束に包まれた身体は痩せ衰えている。
乳母に叱られるなと思いながら、地上に続く梯子に手と足をかけた。本殿は白神山中腹に構えられ、大人の男五人が手をつなぎやっとかこえるほどの太さの杉の柱が社を支えている。
ゆるい勾配の梯子を降りて、本殿の真下にある長方形の石舞台に降り立つ。階を降りて裸足で大地を踏みしめると、やっと人心地ついたような心持ちがした。
「…あさ…」
東の空がうっすらと白み始め、群青色の天(そら)が薄れていく。顔を表す日輪に礼をして、桜は衣を翻した。
薬草や香油の入った湯で身体を温めてから、衣を改め、朝の膳をいただいてから桜は真っ直ぐに長兄の居所である清涼殿を訪れた。
雪路は式盤と星の図面とを交互に目を通していた。ずいぶんと熱心な後ろ姿だったため、声をかけるのが憚られる。
しかし、雪路はふっと息をついて、穏やかにほほ笑みながら振り返った。
「……終わったかい?」
気は済んだのかと問いかけられた気がして、桜は淡くほほ笑んだ。
「…はい。今日にでも先ぶれを四神殿と退魔寮に遣わし、御霊鎮めの祭りを執り行うよう計らいたく存じます」
「そうか。……ではそれらが終わったら、しばらく休みなさい」
「え…」
「ずっと、休んでいなかっただろう? 御霊鎮めの祭りの日取りが決まるまで、ね」
「…ありがとうございます…」
胡蝶の夢、黄昏の闇
おおおおおお