六年前、クロキアとの戦の影がちらちらと現れるようになった。
最初は小さく。けれど段々と大きく、それは都にまで届いた。
即位して間もない雪路は、書面から顔をあげた。すぐそばの柱に赤い外套を羽織ったシュアラの魔女がよりかかっている。
「焼き打ち? 村が?」
「そう。なんかふらふらしてる間に、ここと、ここ…それからここで」
書きかけの書類の上に無造作に地図をひろげ、瑠那は淡々と筆で赤い印を付けていく。最初は訝しがっていた雪路だったが、だんだんと険しい顔つきでそれを追った。
「……伽羅の村か……」
伽羅と沙羅はもとはひとつの国だった。それが二つに穿たれ歴史は浅い。ほとんどが独立を求めた伽羅の民の中に、沙羅での静かな暮らしを選んだ者たちもいる。
それゆえ、シュアラ国内にはひっそりと伽羅の民が住んでいることは珍しくなかった。
朝廷側もシュアラに残るならばと保護も約束している。
その村が中心に狙われて、焼き打ちにされているという。
「そんで、これ落ちてた」
ひらりと薄汚れた布が雪路のてのひらに落とされる。雪路は眉をひそめた。白き布に、暁の鳳凰が翼広げる姿。
――シュアラの国旗だ。
「……雪路が血迷ったのかと思ったけど、そうじゃないみたいね」
くるっと愛用の銃をてのひらで一回転させて、瑠那が雪路を見る。
「…」
雪路は額に手を当てて、舌打ちをした。この国では皇帝ほどの兵力はもてなくとも、大公たちにも私兵をもつことが許されている。
大方その私兵の仕業だろうが、あけすけに皇(すめらぎ)の紋を使うとは、大きく出たものだ。
帝の公務に追われている間に、国が浸食されていたことに腹立たしさを覚えた。
「……参ったな…。村に生き残りの民はいるようだったか?」
「いたわ。口々に帝を呪ってたわよ。一揆でも起きて都にのぼってきてもおかしくないくらい」
にやりと不敵に笑ってかえす瑠那に嘆息を返す。冗談に聞こえないことに頭痛を感じる。だが彼女が気づかなければもっと大きな問題になっていただろう。
「瑠那、ありがとう。橘、直ちに私兵の出所を探れ」
「は」
後ろに控えていた橘が首肯して一瞬で姿を消す。そのとき、いままで黙っていた漣と華音、あきらが動いた。
「帝、村に援助の軍を送りますか」
「…返り打ちにあうかもよ。なんたってこちらさんを恨んでるんだから」
雪路は苦々しい顔つきで、丸格子の向こうを見た。白亜の壁が、高床式の建物を囲んでいる。
「………桜をいかせる」
「っ、はあっ? ちょっとまってよっ桜ちゃんはまだ七歳よっ!」
「伽羅と沙羅が共通して手を出せないのは帝じゃない。巫女姫だ」
「……そうして桜姫を引きずり出すのが目的かもしれません」
緋色の髪をなびかせて、漣が鋭く口火を切った。
「…」
「クロキアは巫女姫の能力を狙っています。諸外国も同じでしょうが、それ以上に」
「巫女姫の名目、であたしたちがいけばいいんじゃない?」
「おにいちゃま」
少し緊張を帯びた幼い声がひびく。いつのまにか御簾のうちに、桜と蒼牙がいた。
「わたし、いきます。わたしがいかなきゃ、いみないとおもう、から。 それに都のえんじょがとどきにくところに村はあるし…はやくしない
と…」
硬い表情で、桜は真っ直ぐに長兄を見つめた。琥珀の瞳は脅えが消えたり現れたりとひどく心もとない。
妹は体が弱い。
長い旅に耐えられるだろうか。
賊に襲われたり、攫われたり、――命を落とす可能性だってある。
できることなら、行かせたくない。
けれど正規の軍を送れば、民は受け入れない。おなじ宗教をもつものならば、巫女姫に刃向かう者はいないだろう。
雪路は唇を強く噛む。しばし瞑目して、玲瓏たる声を響かせた。
「――天意のままに。漣、華音、瑠那、蒼牙。巫女姫の護衛官として援助の遠征軍を率いる権限を与える。心して巫女姫を護れ」
「はっ」
四人がざっと片膝をつく。あきらはまろびかけた弟の姿に、大丈夫だろうかと一抹の不安を覚えた。
「蒼牙、新と、悠。…それから九重にも共にくるよう伝えてくれ」
蒼牙や新、それに悠はまだ十にもなっていない。二つほど年嵩の九重がいた方がなにかと安心だ。
蒼牙は力いっぱい頷いた。
「はいっ」
雪路はひらりと飛来した白い紙に目を向ける。
「治部省の司、役人の手配、それから、兵庫寮をあけ、食糧の手配を。焼き打ちに会った村は納税を当分免除いたす。
また、内蔵寮(くらづかさ)から村の再建に必要なものを手配いたせ。三日後には巫女姫が発つ」
紙は小さな鳥になり、空間をとびこえて消えた。雪路は立ち上がって、桜の傍で膝をつく。
「危険な目にあうかもしれない。気を付けて、いきなさい」
「こころえました」
ぎゅう、と小さな拳を握りしめて、桜は頭を垂れた。巫女姫となって初めての大きな役目。この小さき身体に背負えきれるものとは到底思えない。
桜は不安を消し去るように頭を振って、しっかりと兄を見上げた。
「照日之珠姫命の加護のもと、せいいっぱいおつとめをしてまいります」
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たぬき大公ども…