白い星型の花びらがちらちらと風に舞う。澄み切った青がどこまでも続く空の下、細身の剣を腰に佩いた黒髪の少年が立っている。
紺碧の長布がひらりとはためき、後頭部より少し下で結わえられた漆黒の髪が艶々と背に流れていた。
手をのばせば届く距離だというのに、その姿はずっと遠くに感じられた。声をかけたくなる衝動を一所懸命に抑えて、流れ落ちる涙をそのままにしていると、頬にすっと手が当てられる。
驚いて見上げると、やさしい黒の瞳が自分を見下ろしていた。
桜、と己の名前を呼ばれる。
たったそれだけで胸に凝り固まっていた不安がとろりと融けてしまう。引き寄せられるままに蒼牙に身を預けて、温かい感覚にまた涙がこぼれる。この身を抱きしめる腕が、背を撫でる手が、小さなときからずっと、自分を護り続けてきてくれた。それは、これからも、かわることはないと、信じていた。
ぷつん。と糸が切れるようにその風景は消えうせて、薄暗い天井があらわれる。
桜は顔を両手で覆った。身体にほとんどちからが入らないというのに、とめどなくあふれる涙はどこからくるというのだろう。
いっそ、さめぬ夢の中に入ってしまいたい。
「……姫さま。晶(しょう)の君がお見舞いにまいられましたよ」
淡い紅色の几帳の向こうで年老いた乳母がみじろぎをした。桜は袂で目元と頬を急いで拭う。
それから、さとられぬように息をつめて、几帳の向こうに控える乳母に応えた。
「……お通しして。みなは下がっていてください」
「かしこまりました」
乳母はすぐに周りについていた侍女とともに部屋を出る。代わりに入ってきたあきらは深紫の袿に蝶の刺繍がほどこされた透かし単衣をまとっている。
床に膝をつくと、紺色の裳が大輪のように広がった。褥に横たわる桜の手を取ってそっと撫でながらあきらが口を開く。
「ずいぶんと、痩せちゃったわね。……悠が心配してたわよ? 膳にほとんど手をつけないって」
その言葉に、桜は淡くほほ笑みを浮かべる。紙のように白い肌はぞっとするほど冷たく、瞳の生気は薄らいでいた。
あきらは、そっと息をつく。このままの状態が続けば、少々厄介なことになりそうだ。
「……桜ちゃん、クロキアのことだけど…雪路や太政大臣たちはクロキアへの降嫁に反対よ。策も練っているみたい。だから、そんなに気に病むことはないの」
安心していい。それを言外に含ませてみたものの、桜は瞠目してから、小さく息をつく。そして悲しそうな声で小さくつぶやいた。
「…また、ご迷惑をかけてしまっているのですね…」
「何言っているの。桜ちゃんと一緒にいたいからみんな頑張っているのよ? 肝心の本人が弱気になったら元も子もないじゃない」
桜はぎゅ、と唇をかんだ。あきらは細くなったてのひらを握りしめて、じっと琥珀の瞳を見つめた。
一泊置いて、桜はあきらの視線を避けるようにぼんやりと天井を見上げる。
「…戦が起きる可能性を大きくさせたくないんです。もう二度と、あんな思いをしたくない。民にもしてほしくない…」
「桜ちゃん…それは…」
「二年前に…ある方から言われました。私は民の希望にならなければならない。そのためなら人柱にたつことも必要だと。……そのときは分からなかったけれど、いまなら…なんとなくわかるような気がするんです」
感情のない声音に、びくりとあきらのまゆがつりあがる。
あきらは腕をのばして桜の肩を掴んだ。力づくで視線を合わせる。桜はぴくっと震えてあきらを見上げた。
押し殺した声音で、あきらが問いかける。
「……それ、蒼牙の前で言える?」
「…え…?」
「蒼牙の前で。蒼牙の瞳を見て。国のため民のためクロキアに行く。それが自分の望みだ。……言えるの?」
桜は顔をゆがめた。あきらは切なくなって、骨と皮ばかりになった身体を強く抱きしめる。
「お願いだから、意地を張らないで。…私は蒼牙と一緒にいる桜ちゃんが大好きなのよ。とにかく、蒼牙の護衛の任を復帰させて…」
「だめ…だめですっ……だって」
腕の中で頭を振って、桜はぎり、と歯を食いしばった。
「顔を見たら、そうしたら…っ、…きっと私…こらえきれなくなっちゃう…」
「桜ちゃん…」
ひくっと桜は肩を震わせる。白い頬に幾筋の涙が伝った。それに気づいたあきらははっと目を見開く。
桜はあきらにしがみついて、激しく慟哭した。
「毎晩、蒼牙くんの夢を見るんです。そのまま目が覚めなかったら、どんなにいいかって…いつも…っ」
夢の中にいつまでもいられたら。幾度も幾度もそう願う。
それしか己の身にゆるされないと思い込んでいる少女があまりにも痛々しくてあきらは激しく頭を振った。
「……だいじょうぶ。だいじょうぶよ。クロキアや大公たちなんてぶっ潰してやるから。だから、桜ちゃんは思うとおりにふるまえばいいの。…ね、蒼牙に会いたい?」
やさしく問いかけた言葉に、桜は首を振ろうとして寸前で止めた。そして、小さく本当に小さくうなずく。
あきらは、もう一度華奢な身体を強く抱きしめた。
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降嫁要求が来てから、蒼牙の護衛を解任して徹底的に蒼牙と会わなくなった桜。だけどそのうち心痛で身体を病んでしまったのです。周りのみんなハラハラ。
「晶の君」っていうのはあきらの内裏内での通り名です。ほんとの名前で呼び合うことはまずありません。