玉座で脇息に肘を載せ、雪路はため息をつきたくなった。橘がのりきで言葉を返しているから、口をはさめないというかはさまない。あえて。
隣にいる雪矢は苦笑いをしている。その後ろにいる新はかなり複雑な表情だ。
御前で三つ指をついてこちらを見上げているのは齢80を超えた侍女頭ともうそろそろ四十になる桜の乳母だ。
少し後ろに澄ました顔の九重と、その九重の様子を横目でちらちらとうかがっている悠が控えている。
「…主上、聞いておられますか?」
「ん…。ああ、聞いているよ。桜は裳着を終えて大人になったわけだから、傍付きに成人男児がいるのはおかしいといいたいんだろう?」
乳母の吉野は深くうなずいた。
「桜姫は巫女姫の地位をお持ちですが、それを抜きにして考えればお嫁入り前の女人でございます。たやすく男子とお言葉を交わすなどもってのほか、ましてや御簾も几帳もなしで…」
「いままでは姫君も裳着を終えていないので堪えてまいりましたが、やはり護衛は夕(ゆうべ)の君と朝(あした)の君で十分でございましょう」
老齢の侍女長が重々しく渋みのある声で告げる。夕の君、朝の君はそれぞれ悠と九重のことだ。侍女長の言うとおり、この二人はいずれ帝国の双璧と押される蒼牙、新と互角に渡り合える度量の持ち主だ。
「だが、先だってのクロキア降嫁の話で桜は身体を病んでいるんだ。馴染みの蒼牙と会えばすぐによくなると…」
雪矢は兄ののんびりした応えに焦れて、たたみかけるように口を開いた。だがその言葉を、後で控えていた九重が断ち切る。
「そのお話ですが、春宮」
「?」
九重は紅の引かれた唇をもちあげた。今日はきちんと裳をつけ袿を何枚も重ね、藍色の髪を背中に流し、腰のあたりで結っている。
「海神の君が姫に謁見することは姫が望むまでお待ちいただきとうございます」
「それは、どういうことだ」
九重はほう、と悩ましげに息を吐きつらそうな表情を浮かべた。だが、本人の心のうちは表情のままではないことを雪路も雪矢も分かっている。
「昨夕、晶の君さまがご説得にむかわれて姫が了承したことは聞いております。けれども姫様はお身体の衰弱が治っておりません。完全に治るまでは……」
九重の進言に雪路はそっと目を細め、値踏みするように悠と九重を見た。
「おまえたちだけで、桜を気鬱から立ち直らせると?」
「万事、おまかせくださいませ」
にやり。と口はしを持ち上げ、九重は優雅に頭を下げた。それにならい悠も頭を下げる。雪矢は新と顔を見合わせた。
「でも…」
「雪矢。…侍女長や吉野の言うことは私たちが失念していた部分だ。一理ある」
笏で乳母と侍女長をさし、雪路は淡々と口を動かす。
「主上っ、ですが…」
「裳着を終えたのにもかかわらず、公達とやすやすと会っているなんてことが広まったら桜の品位にもかかわるしな」
「まさしくそうでございます」
侍女長の唐島が身を乗り出すようにたたみかけた。雪路はふむ、と顎に手をかけて、そしてにっこりとほほえむ。
「だが、いままで仲良くしていたものをまったく遠ざけるのもさびしいもの。どうだい? 今度蓬莱殿でおこなう試楽のときには会わせてあげようじゃないか。もちろん御簾越しに、侍女を介してでもいい」
今上帝の提案に、唐島と吉野は顔を見合せて、しぶしぶといった表情で唇を開いた。
「……まあ、それなら」
「しばらくは様子見として。唐島と吉野の思うとおりに運ぶがよい。海神家には私から言っておこう」
「御意にございます」
「もう下がって良い。雪矢、お前もだ。橘も外せ。――九重は残るように」
悠はげっという表情を浮かべて九重を見たが、本人はどこ吹く風。帝とのいわば一騎打ちの対話に微塵も緊張を感じていないらしい。
未練たらたらの顔つきの悠と、その悠から状況を根掘り葉掘り聞き出す気満々の新、使命に燃える侍女二人。ため息をつく雪矢ときょうは主君がまともに仕事をしてほこらしい橘。それぞれの思惑を、玉座の間を仕切る格子扉が遮断する。
「何をたくらんでいるのかな。九重」
「わたくしは、乳母の君と侍女長に、裳着を終えた桜姫のことを少しお話しただけですけれど」
「…まあいい。その件はひとまず置いておこう。…仕事から帰ってのち、報告を奏上していないだろう」
九重はぱちくりと瞬きをして、首の後ろをわしゃわしゃとかいた。
「あー、紙に書くのめんどうくさくて」
「なるほど。私に直接話すべきことだと?」
雪路がそう返すと九重がこっくりとうなずく。
「まあそうかな。伽羅のお頭が不老不死をたくらんで、〝宝珠〟を得て、沙羅ものっとっちゃうーなんてしたためたらみんなびっくりしちゃうでしょ?」
「…不老不死、ね…」
額に手を当てる。伽羅はクロキア。頭は皇帝。宝珠は桜。沙羅はシュアラのことだ。
「宝珠の能力が喉から手が出るほど欲しいみたい。宝珠の能力を中から取り出す方法も知ってるから、お使いがきたんでしょ」
雪路は舌打ちをした。もとはひとつだった伽羅と沙羅。伽羅は陰を沙羅は陽のバランスを取り持つことによって国を動かしていた。
だが伽羅は陽と交わることを嫌い、隠にのまれることを望み降魔術を鍛えている。
「…九重、しばらくすれば情けを捨て鬼に堕ちたものを狩ってもらうことになる」
「はいよ。こっちはいつでも準備OK」
「…エイロネイア、カルミノとも計画は進んでいる。……ただそれは長くかかるだろうから、詳しいことはまた後日に」
「承知」
九重は片膝をたてて黙礼し、玉座の間をあとにした。
ひとり広い部屋に座す雪路は小さく息をつき、深く椅子に座った。
fin.
お婆さまナンバー2&ナンバー3登場?笑