13歳の冬、桜は裳着の式を終えた。シュアラに伝わる女児の成人の儀である。
これを終えれば「大人」として扱われるのだが、変わったのは髪結いの形と袴や裳の色だけ。今上帝も健やかで、巫女姫の位を降りる時はまだ先。巫女は神に仕える者。それゆえ位を降りない限り、結婚はできない。急激に周りが変化するわけではないと、桜は別段気にもとめないで日々を過ごしていた。
だが、その静かな日々も、都にクロキアからの勅使が来たことで激変する。
◇ ◇
「我が国をあげて、一の姫さまを歓迎申し上げます」
「クロキアに名高き神官とシュアラの巫女姫。さぞかし似合いの夫婦となりましょうぞ」
御簾の向こうで、クロキアの使者が深く頭を垂れて慇懃に言葉を並べた。
桜は無意識に扇を握る手に力を込める。しゃらん、と額飾りが揺れた。無意識に肩がこわばり、後に控えている悠が心配そうに瞬きをしていた。
一段高い場に供えられた玉座で使者の言葉を聞いていた雪路は横の御簾に目を向ける。
そしてそっと息をついた。
「確かに妹は裳儀の式を終えたが、いまだに巫女姫の位に就いていることにかわりはない。婚姻を結ぶことは不可能だ」
「これは異なこと」
そばに控えていたシュアラの大公のひとりが声をあげて立ち上がる。謁見の間の両端には右に皇族府の大公たち、左に政務の手助けをする太政大臣や左と右の大臣、大納言、中納言が控えていた。大臣たちはほとんどが民間出である。
立ち上がった大公は絢爛たる輝きをみせる袍をすべらせながら、雪路の前で片膝をついた。
「恐れながら主上(おかみ)、二年のちには譲位をお考えだったのでは? そうなれば一の姫さまも御位をお降りになられる。…決して遠き話ではないと思いますが」
「…」
桜はふっくらとした唇をかみしめた。帝が譲位を行えば巫女姫も次代へと位を譲る。次兄である雪矢-春宮(日継の皇子)は昨年春宮妃を迎え、子をなした。雪矢が成長するまでの中継ぎの帝である雪路は二年のちに譲位を行うと決めていた。桜も年頃で、嫁入りする頃合いだから、と。
親戚である大公の大半があてつけるように歓喜の表情を浮かべている。幼少のみぎりより二番目の正妃腹である桜を忌むべきものとして扱ってきたのだ。これ以上好都合な厄介払いがあるだろうか。
その大公の言葉にほかの皇族たちも一同に賛美の声をあげる。対して向かい側に控えた大臣たちは苦い顔つきだ。民の間では「桜」の存在は絶対である。史上最年少で巫女姫についたにもかかわらず、民を憂い国を想い常に最善を尽くしてきた姫だ。民の桜に対する好意は大きい。巫女姫の位をたとえ降りられてもそれは変わらないだろう。
クロキアの使者は口端を持ち上げて、雪路を見上げた。
「お返事はすぐにとは申しません。巫女姫さまのお勤めのお邪魔となっては一大事。
………ですが、陛下は長きにわたって我が国とシュアラにできた深き溝を埋めることを切に望んでおられます」
悠はわざとらしく嘆かわしそうに言葉を連ねる使者の顔に蹴りを一発くれてやろうかと思うほど腹が立った。ぎり、と歯ぎしりをする。
ふいに、使者が御簾の向こうにいる桜をのぞきこむように視線を投じる。桜の肩がびくりと震えた。
「そのお心を、どうぞご理解くださいませ」
「―――ッ!!」
桜はさっと顔を青くした。ぱさり、と扇が椅子から落ちる。後ろに控えていた悠がもう我慢の限界だと憤然とした顔つきで立ち上がった。橙色の袿がひらっとゆれる。
御簾を見通して桜をにやにやと見つめる使者の視界から隠すように袖元で桜の顔を覆った。
腕の中でかたかたと震える桜を見下ろしてから、御簾向こうの雪路を仰ぎ見る。
「…主上、姫さまは昨晩からのお熱が下がっていません。退出させていただきとうございます」
「―――ああ。構わないよ」
雪路は気遣わしそうに御簾向こうの桜を見た。
悠は優雅に礼をすると、使者には一瞥だけをくれて、桜を抱えるようにして奥に下がった。ぱたん、と戸がしまると、桜が腕の中で弛緩する。
使者との謁見が行われていた主宰殿から渡殿をいくつか抜けて、やっと内裏の奥にある庭園までくると、行きかう人もまだらになった。
清冽な空気に安心したのか、桜の膝の力がぬけてがくんと床につく。見事な紅菊の刺繍がほどこされた透かし重ねがふわりと広がった。
悠は慌ててひざをついて、真っ青になって震える桜の肩を支えた。
「桜、だいじょうぶか…?」
「……っ、悠…っ…だめ…主上は断れない…」
「は…え、何いってるんだよっ。あんなこと主上が許すわけ…」
クロキアは得体が知れない国だ。それに、カルミノで大神官は桜に無礼を働いている。それを雪路や雪矢は承知だ。大神官の誘いには何か裏がある。だからこそ、雪路は拒絶の意をあらわそうとしているのだ。
桜は頭を振って細い手で顔を覆った。手首にある華奢な飾りがしゃら、と音を立てる。
「…大公ほとんどが、私を邪魔に思っているのよ? お兄さま方以外の皇族の大半が、この縁組に賛同するわ…」
「…皇族府は、そうかもしれない。だけど大臣たちは桜を外に出すなんて考えてない。 民だってそうだ。たとえ桜が巫女姫じゃなくなっても、この国には桜がいなくちゃだめだ」
必死にまくしたてる悠の袖をつかんで、桜は顔をゆがめた。断ればどうなるか、クロキアの使者の瞳が、口よりもなお雄弁に語っていた。
「…それだけじゃない…。これを断ったら……クロキアは必ず戦をしかけてくる…」
「な…」
悠は絶句して、二の句がつげなくなった。桜はひきつった呼吸をそのままに、こんどこそへたりと床に腰をついた。
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第一弾。大神官の名前、ちょっと気に食わなかったんで変えました。