シュアラ皇宮で、正午の鐘がなる。あらゆる職のものが手を止めて、おのおの昼餉をすましたり休憩する。いわば昼休み開始の合図である。
そんなうららかな昼下がり。皇宮の一角、蔵人所預かり修練場で、幼児の泣き声がこだました。
武鎧蓮は、転がっていた防具をきちんと並べ終えてから、すっくと立ち上がった。草履をひっかけて、外に出ると道場を囲む築地塀に背中をあずけた少年が泣け叫んでいた。隣にしゃがんだ鳶色の髪の少年があやすように肩をたたいてやっている。更にその少し離れたところで蜜柑色の髪と瞳をもった少女が一匹の秋刀魚を口いっぱいほおばっていた。
蓮は意識が明後日にいこうとするのをかろうじて抑え、幼子達のほうへ向かった。
「びえええええーーーーっ」
「そーが、なくな。いーこいーこ」
新がなだめすかし、蒼牙専用のでんでん太鼓をふりまわすが、効果なし。駄目か、じゃあこれはどうだ。と新は次の手にでる。蓮は、同年の新にあやされている蒼牙の行く末を本気で憂いた。
「……どうした」
「れん兄!」
「もぐもごごっ」
「悠、口にものがはいったまま喋るんじゃない。……どうしたんだ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で蒼牙が立ちあがって、蓮の足に飛びついた。そのまままた泣きじゃくるものだから、しかたなしに抱きあげた。袴についた大量の鼻水は、気にしないことにする。新に説明をもとめると、彼は両手をふりまわしながら説明しはじめた。
「あのなっ。悠が、さんまをひとりでたべちゃったんだっ! そーがの大好物なのに…」
「もごご…ごくっ。……あたしはわるくないぞっ! おなかすいたんだもんっ」
「うえええええええっおれのしゃんまーっ」
「………」
丁度昼休みということも手伝って、なんだなんだと隊士たちが視線を向けてくる。その人ゴミをかきわけて、少年が1人あらわれる。あちらこちらの布をひきちぎったようないでたちで、頭には布を巻いているのだが、すこし……いや、大分奇妙である。
「れええええええええんっ! 俺との勝負はまだついていないのに逃げるとは、怖気づいたのかっ!!」
「………状況を見ろ」
「うるせええっ! 隙をつくろうともくろんでるんだな? だが、俺のライバルはおまえだけだ! お前しか見えていなああい!!」
「れえええんっシリア、尻もちいっぱいついちゃって、おしりがいったーい」
「………………」
今度こそ蓮は完全に思考を明後日にむけた。
ところかわって清涼殿昼の御座所。衣を引き裂いたような少女の声が響き渡った。
すぐにばたばたばたと複数の足音が響き渡り、悲鳴の主がいる部屋の几帳をはねのける。と、そこには、膳の前で悲壮な顔つきしながら立っているあきらがいた。
一番に駆け付けた第一親王―雪路は、慌てて宮の中に入って幼馴染の肩をつかんだ。
「あきらっなにがあったのっ」
がくがくと揺さぶると、われに帰ったあきらがうりゅりと瞳を潤ませる。その様子からさぞや恐ろしい目にあったのかと窺えて、雪路はそばにいなかった己のふがいなさに情けなくなった。しかし過ぎたことはしょうがない。なにがあったのかを聞いて、対処しなければ。
あきらは、こくこくと頷いて、形の良い唇を震わせながら叫んだ。
「焼き魚がないっ!」
間。
『は?』
雪路の後ろからついてきたもゆががくっと肩を落とし、警護の隊士や姫兵達が柱や屏風を支えにへなへなと脱力した。しかしすぐに切り替えて、もゆと雪路をのこしてぞろぞろと自分の持ち場にもどっていく。
あきらは呆けるもゆと雪路を無視してまくしたたてた。
「楽しみにしてたのに! 今日は焼き魚定食のはずでしょっ?」
どういうことなの大根まですったのにっと憤慨しはじめるあきらの頬を雪路がおもいっきり引っ張った。
「いはいいはいはいいはいっ」
「そんなことで叫んだの?」
「そんなことじゃないわ! とんだことよっ」
「魚がないくらいで叫ぶなっいい迷惑だよっ」
「あたしにとっては大事件よっ! もう無理っ仕事できないっ」
うわーんと畳につっぷすあきらの横で、雪路がふるふるとわなないている。皇子たるもの感情をむやみに出してしまうのはいけないことだと自分を律しているのだろうが、怒りで顔が紅潮している。
そこに、しずしずと衣をすべらせてもゆが近づいた。
「あっきー午前はずっと遊水殿でさぼってたじゃない」
「も、もゆっ!」
ぶちんっ。とどこかで太い糸が切れたような音を、もゆは確かに聞いた。そして、自分だけ持っていた耳栓で耳をふさぐ。
そして、
「あきらーーーーっ!!!!」
昼の御座所に、雪路の怒号がこだました。
◆ ◆ ◆
「うぅぅいたいー……ゆきったらおもいっきりひっぱったわねー…」
ひりひり痛む頬に氷嚢をあてがいつつ、あきらは文句を垂れた。隣に腰をおろしているもゆが繕いものをしながらぱかねえと返す。
「魚がないくらいで騒ぐんだもん。あたりまえよー」
「だって、秋はさんまでしょ? 焼き魚でしょ? …楽しみにしてたのにぃー……」
たまどめをして、糸切り歯で糸を切って、もゆは繕い物を広げた。左右に少し引っ張って、破けた個所が変に突っ張っていないか確かめる。そうしながら衣を畳んでいるあきらに顔を向けた。
「……なんか、全然とれないみたいよ? 隊士達にはまわったみたいだけど」
「なんで隊士達にはあるのよー」
「そりゃ、働いて御所と都守ってもらわないと」
むう。とあきらは頬を膨らまして、顔をそむけた。
「……あたしだって隊士だい」
「はいはい。いまは隊士休業中の女官見習いでしょー」
「……むぅ。…でもさ、どーしてとれないんだろ。不作…じゃないよね? 先々週は魚のつくり食べたもん」
「……あっきー……そこまで食い意地はるか」
「違うわよっ。んー…海の方でなにかあったんじゃないかなって」
そのままそわそわと落ち着かない様子で外を眺めやる。この少女の生家は海神。海と水に深く関係のある血筋のせいか、あきらはこと海に愛着があった。
また毎日1人で長時間水練に励んでいることから泳ぎが抜群に上手い。泳ぎ好きが長じて隊服の下には水着を着こんでいるぐらいである。その泳ぎが人間離れに美しいことから、いつしか彼女の母親は人魚なのではという噂まで流れたくらいだ。実際もゆはあきらの母親に会ったことがない。あきらも幼いころに母親が行方しれずになったことしか覚えておらず、父親の方は黙して何も語らないそうだ。
それでも海神家には親類縁者がたくさんいて、なおかつ一画に集まっていて賑やかなせいか、不思議とあんまり寂しくないのだと、前に教えてくれた。
その時、自分も母の顔を知らないなあとぼんやり思ったが、やはりあきらとおなじく親戚というか同じ名字を冠する人ばかりがいる里で育ったせいで執着は薄い。
「あたしは……原っぱかなあ…」
「なにが」
糸くずをいじりながら、天井を見上げる。
「ん? あっきーの海みたいに、懐かしくなったり恋しくなったりする場所というかものというか」
「そっか。風雅の里は大草原だものね」
あきらが身を乗り出した。針持ってるからあぶないよ、といなして晴れ渡った空を見上げた。
「そそ。里にはあんま戻らないけど、こう息詰まるところにいると、無性に戻りたくなる」
話しながら針の数を確かめる。針一本ごとき、と考えてはいけない。もし一本たらなければ御所中の女官が見つかるまで宮廷をはいずりまわらなければならないし、尚侍(女官長)に激しく叱責される。更に、帝や中宮など貴人の衣に針が残っていれば一大事。即刻針のたらない女官は打ち首である。打ち首はやりすぎなんじゃないかと最近意見が出ているので、そのうち厳罰程度にとどまるだろうが。
「……ああ、そういえば」
「む?」
裁縫箱を自分の葛篭に戻して、もゆはあきらに向き直った。
あきらがきょとんともゆを見つめ直す。その手になぜかもゆが楽しみにとっておいたおはぎがあったので取り返した。
「ああああっ」
「あああじゃない。……風の大社から海神家に依頼よ」
最後の一言にあきらが居住まいを正す。もゆの柔らかい印象をうけるおもざしが少しだけ厳しくなった。
fin