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綴れ夢語り

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【戯言】夢恋し

昨日、チャットでちらりとご紹介した和歌(古今・526)と類想歌(古今・552)を改めて語りたいと思います。
それから、蛇足ではありますが、私が前期に研究した「万葉の恋心」についてもちょっこし。
勉強中の身なので、拙い部分も多々あると思いますが、読んでいただけたら幸い。

●古今集巻十一・恋歌
526 恋ひ死ねとするわざならし むばたまの夜はすがらに夢に見えつつ 読み人知らず

【語釈】
①恋…「乞い(求める)」とかけている。②わざ…業。仕業。③むばたまの…枕詞「ぬばたまの」、植物の種の名である「射干玉」※恐らく女性の歌

【直訳】
「恋焦がれ死ねという君の仕業らしい、漆黒の夜の間ずっと君の夢を見続けるというのは…」

【意訳】
「夜(夢)にずっと出てくるのは、(貴方に恋こがれて)死ねということなのね。ようやく(夢で)会えたとけれど、あまりにも何度も出てくるから、却って会えない辛さがつのってしまったじゃない」

【備考】
当時「相手が夢に出てくる」というのは、「相手が自分に逢いたがっている」と信じられていたから、作者は余計悶々としているのかと。蓮くんが華音ちゃんにかける恋心を観察していると、静かなように見えて、実は激烈といったものを感じています。特に嫉妬するとき(笑)大好きだよねー^p^

●類想歌/古今集巻・恋歌

552 思いつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを 小野小町

【直訳】

思いながら寝て見た(恋しい)あの人夢を見たのだろうか…夢と知っていたら目覚めないでいたものを。(もっと逢っていたかった)

【意訳】

愛しいあの人のことを想い続けてみた夢だから、あの人の姿が見えたのかしら…? 夢だと知っていれば、目覚めずにいたのに……。

【備考】
ここ文法要素に突っ込むと長くなるので端折ります(`・ω・´)(←それでいいのか日文生
先ほど「夢を見る」=「相手が自分を想っている」と信じられていたと書きましたが、この歌はちょっとそれとはまた違うよう。
「どうせ夢を見たのは自分の思いこみでしかない」という気持ちを通し、だからこそ「独りの現実に戻りたくなかった」というメッセージを伝えてくれます。
これだーいぶ以前に書いたらーちゃの降嫁騒ぎのときの桜の気持ちにぴったりだなあとめもしたのですが、懐かしい…。和歌を眺めていると心がなごみます。ついついキャラの気持ちやら自分の気持ちやらをあらわした歌を探してしまうことがしばしば。
だからこれも最初「蓮くんだー(´;ω;`)」と思ってながめていたのですが、彼の雄々しさをあらわしきれてないなあとちょっと不満になりつつもっかい探し当てたのが上述の歌です。「恋ひ死ね」とは、なかなかかっこいいではないですか。惚れそう。(ここで掘れそうって変換すんなよリビングPC)

<蛇足の蛇足~万葉の恋心~>※前期のレポートの結論はっつけただけです! 時間のあるときのみどうぞ!

「恋」

《学研古語大辞典学習研究社》
「恋」(男女間で)相手を自分のものにしたいと思う愛情を抱くこと。また、その状態。
《大辞林》
「恋」①特性の異性に強く惹かれ、逢いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち。=ラブ・愛
古くは、異性に限らず、植物、土地、古都、季節、過去の時など、目の前にない対象を慕う心にいう。 
 
○万葉人の恋ふ
 
《万葉集考》

万葉に恋を表すのに「孤悲」という字があり、、この表記は恋というものがどう考えられていたか、はっきり表している。
それは相手が目の前にいないのを寂しく思い、求め慕う心である。人についていうことのほかに花や鳥、自然についていうことも多い。
・孤悲を使った歌…3,325/15,3652/17,3931/17,3980/17,4019/18,4033/18,4083

《角川古語大辞典》

「こ・ふ」[戀]動八上二。目の前にないものに心惹かれる。恋い慕う。ことに異性を思う場合に用いることが多い。上代では人を対象にする場合は助詞「に」が普通で「を」を受ける「おもふ」と対照的であり、「を」を受ける場合は人間以外のものを対象とするのが普通であったが、中古以後は一般に「を」を受けるようになった。名詞形「こひ」にサ変動詞をうけた「こひす」も上代から用いられ、後世はこちらの形が勢力を占め「こふ」は次第に用いられなくなった。

《万葉ことば大辞典》

「恋ふ」目の前にないものに心ひかれる。恋慕う。殊に異性を思う場合に用いることが多い。名詞「コヒ」では「孤悲」という表記もある。[考]参照。
「恋ふ」の歌ことばとしての初出は、巻一、二十一番歌天武天皇による御歌である。
 紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋めやも
 天智七年五月五日薬猟の宴に際して歌われたとされる。相手の額田王は眼前にいるわけであるから「目の前にないものに心惹かれる」という意とは異なるようであるが、「人妻故に」という表現に着目すると、相手が目の前にいないのと同様、あるいはそれ以上に遠い存在として隔てられている人妻である故に切実に心ひかれることになるのであろう。
 とすると、「目の前にないものに心惹かれる」という「恋ふ」の最も基本的な意味をその最初の例によみとることになる。
 ただし、この歌は宴席での贈答で、現実の恋を反映したものではない。
 恋の基本的な意味をよく表す例をあげる。
 巻二、百五十番歌 天智天皇崩御挽歌
 うつせみし神に堪へねば離れ居て朝嘆く君離れ居て我が恋ふる君玉ならば手に巻き持ちて衣ならば脱ぐ時もなく我が恋ふる君そ昨夜みえつる。
「離(さか)れ居て」「離れ居て」と天皇と離れて逢えない事が繰り返され、「我が恋ふる君」とこれもくりかえし強調される。ここでは幽界を異にしてじかには逢うことのできない嘆きを歌っているのである。
天武朝では人麻呂歌集を中心に「恋ふ」は歌語として定着。人麻呂歌集略体歌では七十一首、七十四例を数える。
 
結論

 上代の恋は「目の前にないものを寂しくおもい、求めてやまない」心である。「こふ」はその対象物が目の前にある時は用いない。
では目の前にないとはどのような状況か。兵として駆り出されたり、罪人として流されたりしてお互いの距離が開くこともそれにあたるだろう。このような物理的な障害はもちろん、身分の差や自分の立場、または母親の妨害で本当に手に届きそうな場所にいるのに手に入れられない状況も「こふる」状況だろう。
前項において竹垣の向こうにいる妹は、酒を醸す役割を負って、一定期間外にでられないような状況にいるのではないかと仮説をたてた。
男が妹に逢うには、竹垣を越えればいいだけなのだが、それはできない。まさに、「目の前にいないのと同様、とてつもなく遠い存在」なのだ。
 万葉時代の竹垣がどのようなものだったか定かではない。古来は真竹、破竹の類が主なものだった。竹垣の基本形は様々で、大きく分けて関西風と関東風にわけられるらしい。ただし、共通していることは、自然の竹を成形せずに使っているということだ。成形していないのなら、小さな隙間の生じる個所もあっただろう。そのような小さな隙間からでもいいから、愛しい妹の姿を見たいと思っていたのではないか。私はそう考える。

お粗末(`・ω・´)

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沙羅の語り部
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女性
自己紹介:
沙羅ノ国。一般的には「シュアラ」の呼称がつかわれている。
帝と巫女姫が執政を行うこの国の、雅で切ない物語。名無しの語り部が語るとしよう。

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