完全に元義兄現許嫁を甘く見ていた。
散々親友から『無自覚』『女として危機感が足りない』と説かれてきたが、こういうことだったのか。
意識を彼方にはなち、しみじみと感じ入る。
ただの現実逃避なのだが、恐慌状態に陥るよりよほどましというもの。
その分自分は成長している…はず。冷静さが肝要なのだ。そうだ。
いまこの瞬間、隣の元義兄現許嫁が卓の下で、前触れもなしに手を絡ませてきているのだとしても、気にしなければいいのだ。
ひとつ頷いてから、あきらはつとめて冷静に杯を口に運んだ。桃の香りがふわりと薫って心を落ち着かせてくれる。
(御酒呑んじゃいたい…!!)
そうして暴れてしまえば、横で愉快そうにあきらの様子を窺っている男とて、これ以上のことはできまい。
だが。
あきらは上座を見やった。今日の為に、金色の髪を複雑に結い上げ、衣を新調し、可愛らしく着飾った友人、それを穏やかに見守りつつ、向かい側の元同僚の白髪頭にガンを飛ばす器用な同僚。そして先日やっとお守から離れ、いままでの微妙な関係を一掃した幼馴染が、珍しく明るい表情で、接待に応じている。その隣に、そっと寄り添うように座る藤簪をつけた少女。
幸せになってもらいたかった人が一気に(まあ色々とあったけれども割愛)実を結び、その寿ぎをするために今日の場があるのだ。
いつも猪突猛進と叔父からがみがみ言われる彼女であったが、時と場合というものをわきまえている。
そう。ここは新しい門出を祝う静粛な場であって、ふざける場所ではないのだ。
ひとつ頷いて、給仕の女官が傍にいないことを確認してから、あきらは隣の男を見上げた。
「兄上」
「………、なんだ」
間があったが、気にしない。あきらはそのまま小声でまくしたてた。
「公式の場所なんだから、ふざけるのはやめて」
きょとり。と弟とよく似た顔で小首を傾げられるが、弟ならばいざ知らず、全く可愛くない。
「これよ」
布をかけられた卓の下。離される気配のない手を二度三度振ってみる。
「離してちょうだい」
「何故」
「なにゆえー。じゃないわよ。落ち着かないの」
「ほう…?」
龍彦は眼を細めて、口端をつりあげた。
「ただ握っているだけだが?」
「だ、か、ら。これじゃあお料理とれないし、席もたてないじゃない」
「俺がとってやろう」
つまり離す気はないと。あきらはつとめて平静を装いながら思いっきり龍彦の足を踏みつけようとした。
しかしするりとかわされて、がつんと床に沓があたる。
「~~~~~っ」
「晶の君さま?」
水差しを持った女官が、急に顔を下げてうめき始めたあきらに駆け寄る。
「いかがなさったのです? お具合でも?」
「あ、違うの。耳飾り落としちゃって」
咄嗟に笑顔を浮かべて振り返る。そうすると、女官は安心したように持ち場に戻っていった。
「あきら、背筋を曲げるな。見苦しいぞ」
「誰のせいだと…っ」
身を起こそうとした、瞬間。
ふわ。と唇を何かがかすめた。そう。何かが。
唖然として固まっているあきらを、涼しい顔で見下ろす龍彦。その顔が余りにも近い。
ならば、今かすめたものは。
がばっと身体をあげた。その拍子に繋がっていたてのひらも離れて、赤く染まった頬を両手で隠すことはできた。
まあ、うなじまで染めてしまっては、隠すも何もないのだが。
「『兄上』と呼んだら、口を塞ぐといっておいたであろう?」
しれっと言い返して、余裕綽々の体で杯を傾ける。その横っ面を張り倒したい衝動にかられながらも、それを必死にとどめて、あきらは辺りを見回した。
祝辞がのべられてからは、おのおの自由に宴を楽しんでいた。龍彦とあきらは主賓から少し離れた席にあつらえられた護廷十臣家の代表用の席に共についていた。
皆、主上や新将軍への挨拶のために上座へ行ったり、部下をねぎらう為に下座にいったり、歓談をしたりで、こちらに気にを留める者はいなさそうだった。
安堵の息を吐いて、横でウニがたっぷりのっている寿司をたいらげている龍彦を睨む。
「……あに……、………あな、た」
慣れない。壮絶な違和感に襲われる。けれど慣れなければいけない。
目の前の男は是非名前で呼んで欲しいそうなのだが、無理だ。絶対に無理だ。
それをやったら、恥ずかしさで死ねると確信できるほどに。
だから同じ『あ』の音から始まり、第二音節も同じ行である「あなた」に終着したのだが、上手くいかない。
けれど、そう呼べば、ほんの一瞬だけれど、龍彦は無邪気な顔つきで笑ってくれる。
「……あなた」
「よし」
頬を指で撫でられると、体中が沸騰しそうなくらい熱くなる。
そして、今まで見たこともないくらいの自然で柔らかな笑みを見ると、つられてこちらもほおを緩めてしまう。
不器用なこの人が、自然な笑顔を浮かべることは本当に特異なことだ。
それを隣で一生見ていられるのなら、どんなにか自分は幸せだろう。
なのに、なんという有様だろうか。
あきらは急に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
龍彦は、あきらが複雑に絡まり合った感情を自分で解きほぐす時間を与えてくれた。二つの血の間で、立ちすくんだ彼女の手を離さないでいてくれた。
ただひとつの答えを導いてくれた。そして嫁問いをくれた。
自分は、それに心から慕わしい気持ちを持って『好きだ』と返した、のに。
手をつなぐらい、どうだというのだ。衆目の前での口づけは頂けないが。
龍彦も焦れて当然なのだ。義兄妹の枠をなかなか壊せないでるこの状態では婚約者どころか恋人失格である。
(…こんなので、よくあたし、初夜を突破できたよなあ…)
『あきちゃん。勢いが大事なのよ。勢いが』
ふっと親友の顔が浮かんだ。親友の萌は真面目な話の時は、『あきちゃん』と呼ぶ。
初夜の前、色々なごたごたが片付いたあきらの部屋に訪れた萌は、怖いほど真剣な表情で言ったのだ。
『ぐだぐだ考えない。勢いと殿方に任せてしまいなさい』
そういうものだろうかと首をかしげながら、初夜を迎えてみればまったくもって萌の言う通りであった。
怯えれば宥めてくれたし、痛いとこぼせば気を紛らわせてくれる。終わった後は疲労が勝って眠ってしまうという不覚をとったにもかかわらず、優しく頭を撫ぜながら抱きしめてくれた。
朝目を覚ました時は気恥かしかったけれど、泣きたくなるほど、幸せだった。
「…い。おい」
「は、ぇ? わっ何?」
「赤くなったり、青くなったり、はたまた遠い目をしたりして、忙しい奴だな」
「な、なにおうーっ」
思わず拳を小さく振り上げるが、軽く流される。
どころか、またとらわれた。
「うげ」
「げ。とはなんだ。仮にも許嫁に」
「う…。ごめんなさい」
またやってしまった。うにゃうにゃと理解不能の言葉を吐きながらあきらは大きく肩を落とした。
迷子の子犬のような姿に、龍彦は首をかしげる。
「なんだ。膳が足りぬのか?」
「チガイマス」
否定しといて、『あなたのことで悩んでいました』なんて言ったらつけあがるに決まっているから、適当にあしらっておこう。
上座が視界に入ったので、思い突いたことをそのまま喋った。
「えーと。感動しちゃって」
「感動、とな」
「だって、あの雪路が結婚でしょう? 本当によかった。千鶴はいい子だし。二人には幸せになって貰いたいな」
そういって微笑むと、龍彦が複雑な表情で押し黙った。
あきらは眼を瞬かせて、小首をかしげる。
「お前は……、いや」
「なあに? 兄上…あっ」
言ってしまってから慌てて手で口を塞ぐが、出てしまった言葉は取り返せない。
一気に龍彦の周りの温度が急降下するのを肌で感じて、あきらは思わず身を引いた。
その行動がまた気に障ったのか、龍彦が眉間の皺を深くして立ち上がった。
「……来い」
「え」
「いいから、来い」
低く一喝されてしまえば、拒否権などない。嫌な予感をひしひしと感じながら、あきらは大人しく従った。
幼い頃から身体に沁み入っているが故の防衛反応というやつだ。
この状態の龍彦に、逆らってはいけない。
女官が客間までの案内を申し出たが、龍彦が丁重に断って、半ばあきらを抱えるようにして宴席から退いた。
篝火がこうこうと照らす廊をいくつも抜けて、宴が行われた蓬莱殿から随分と遠ざかっていく。
後宮の屋根が見え始めた頃、それまでまっすぐに歩を進めていた龍彦はぐるりと方向を変えて、鬱蒼と茂る松林に突き進んだ。
この先には、内蔵寮があるだけだ。内蔵寮とは、皇室関係の出納事務を行う寮だが、雪路が規模を縮小させたので、いまでは、中務省の中の一室に収まっている。
つまり、空き棟となっていて、警備の必要もないから篝火も焚かれていない。
よって、真っ暗である。後宮女官の間では、妖やら鬼やらがひそんでいそうで、夜にはとても近づけないと評判である。
「…ここから、先、なにもないよ?」
おそるおそる問えば、無言が返ってくる。敷き詰められた玉砂利を踏む音だけが響いて、あきらの不安を煽った。
「……おこって、るの? 『兄上』って間違えちゃったから?」
それでも何も返ってこない。ぐいぐいと引っ張られる手首が痛い。
本当に怒っているようだった。龍彦は振り向いてもくれない。
それが悲しくて、怒らせてしまった自分がふがいなくて、あきらは知らずに泣いていた。
泣きながら、精いっぱいに謝った。
「…ごめ…んなさい……」
「謝るな」
鋭く返されて、肩を強張らせる。
いつのまにか、龍彦は歩みを止めていた。生い茂る松が、月光を遮断して、足元さえもおぼつかない漆黒の闇の中。
龍彦はやっと振り返った。
しかし、眼が闇に慣れないせいか表情が判然としない。
それでも何度か瞬きをすれば、ぼんやりとけぶる様に輪郭を見いだせるようになった。
苦々しい顔つきで、あきらを見下ろしている。
ああ。怒られる。
できるだけ、殊勝な態度で臨もう、と、あきらが涙を拭いて目線を合わせれば。
「……お前、雪路に未練があるのではないか」
予想もつかなかった問いがふりかかってきた。
「………………は?」
唐突に、前触れも無しに雪路の名前が出てきて、あきらは呆けてしまった。
一連の流れを頭で反芻してみても、自分は龍彦としか会話していない。龍彦のことしか考えていない。
涙を拭う為にあげていた腕が中途半端な位置で止まる。
「……どうして、雪路?」
やっとのことでそう尋ねる。『兄上』と呼び間違えたから怒ったのではなかったのか?
どうしてそこに雪路が出て来るのだ。
混乱しつつも、あきらは龍彦の答えを待つことにした。
「ずっと上座を見ていた」
(いや、それは、現実逃避のためで)
「先ほども頬を染めて、瞳を潤ませて雪路の事を語っていた」
(いや、赤くなってたのも、瞳を潤ませてたのもあんたのせいだっつの)
心の中で突っ込みはするが、口が追いつかない。
ぱくぱくと金魚のように口を開けたり閉めたりしているあきらを、龍彦はため息交じりで見降ろした。
「お前にとって、俺はやはり『兄上』にしかなれない存在なのか」
誰だ。この男を年若ながら落ち着いた、観察眼に優れ、いつでも冷静沈着に大局を見定められる人物だと過大評価したのは。
「だがおれは、お前を離せぬ」
しかも、必要最低限以下のことしか言わないとはどういうことだ。
的を射ていればいいという問題じゃあない。本人だけが分かればいいということでもない。
意思疎通が出来て初めて会話というのだ。
ふつふつと沸いてきた怒りとともに、今まで彼を出来た人間だと過信していた自分がばかばかしくなった。
深く深く息を吐いから、あきらは一歩龍彦との距離を詰めた。
驚いている彼の頬を包んで、思いっきり引っ張ってやる。
「…なにをする」
「おしおきよ」
彼も普通の人間なのだ。しかも、いっとう不器用な。
立派な人の妻になるのだから、しっかりしなければと気負っていた自分を笑い飛ばしてやりたい。
目の前に立つひとは万能じゃない。言わなければ伝わらないことが、きっと人より沢山ある。
「あのね、…龍彦さん。誤解してる」
勝手に誤解して勝手に自分で納得されてしまっては困る。
これからは二人で生きていくのだから、その都度訂正させてもらわなければ。
何度間違えても、一緒ならば、大丈夫。だって隣に私がいる。私が間違えればあなたがいる。
それはきっと、とてもおかしくて、明るくて、素敵なこと。
「あたしがぼうっとしてたのも、赤くなったのも、全部全部、龍彦さんのこと考えてたからよ」
「な、」
「雪路は関係ないわ。そりゃあ、好きだったのは認めるけれど。15の頃にはふっきれてたし」
伸ばした手の片方を、龍彦の大きい掌に重ねる。
「あたしにとって、龍彦さんは『兄上』でもあるわ。当然でしょう? 十数年間そうだったんだから。急に認識を変えろと言っても無理な話よ」
龍彦の切れ長の瞳が心細げにゆれているような気がして、握る掌に力を込めた。
「『兄上』をひっくるめた龍彦さんが好きなのよ。ずっと一緒にいたいと思ったの。突拍子なくて、どうしようもなく頑固で、真っ直ぐ。そんなあなたとなら、きっと、おもしろおかしくて明るい人生が送れそうだもの」
「……面白おかしい…?」
「退屈しないってこと。いつも笑顔でいられて、自然体になれる」
一言一言区切るように紡ぐ。
龍彦に言葉が足りないと怒って初めて、自分自身も言葉がいたらなかったことにきづいた。
だから、今伝えればいい。
「ずっと、一緒にいましょう? 龍彦さん」
そう告げるな否や立ちすくんでいた龍彦の腕が伸びて、あきらをしっかりととらえる。
あきらは背中に腕をまわして胸に顔を埋めた。
そっと目を閉じて、恋しい人の鼓動を聞いた。
『あきらね、兄上のおよめさんになるの!』
『…な…』
『兄上のそばに、ずーーーっといてあげる!』
『…傍に?』
『そう。ずーっとずーっといるよ。だから、兄上も、あきらのそばにいてね。約束だよ』
『……そうだな。考えて置く』
――ずっと一緒にいましょう?
――ああ。約束だ。
fin.
リア充ry
リア充祭り(`・ω・´)