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プロフィール
HN:
沙羅の語り部
性別:
女性
自己紹介:
沙羅ノ国。一般的には「シュアラ」の呼称がつかわれている。
帝と巫女姫が執政を行うこの国の、雅で切ない物語。名無しの語り部が語るとしよう。
[218]  [217]  [216]  [215]  [214]  [213]  [212]  [211]  [210]  [209]  [208
ここっちのお話。後半はシリー一色になるはず。なんか長くなってしまってまだ終わらない。できたとこまでのせてます。(2015/01/21)
完成しました。(2015/01/23)

***
 許されるなら この愛だけを 抱きしめたい
 逃れられない痛みでも
 イメージソング:家入レオ「Silly」→歌詞
***








 東(あずま)切子の杯に、とぷりと紅い液体が注がれる。
「贄を召しませ」
 行灯一つ置いただけの暗い和室にしわがれた声が反響する。
 黒い長布を頭からすっぽり被った人影が、ふたつ。それぞれ翁の面と嫗の面を被っている。
 卓の前に座るのは、妙齢の女。紅葉を思わせる、絶妙に入り混じった色の美しい髪を長く腰の下あたりまで伸ばしている。翁と嫗は彼女の周りを取り囲み、ゆらゆらと揺れた。
「清らなる生娘の血」
「我らが風伯の時を狂わせる甘露」
 召しませ。召しませ。
 淀んだ風のような囁きに柳眉をひそめながら、女は人差し指に薄く小刀を当てた。傷口からぷくりと膨らんだ紅は珊瑚の如く杯の中に転げ落ちる。瞬きをする間に傷はふさがった。
 胸から下げた小さな砂時計を数回ひっくり返してから、女性はぐいっと朱(あけ)の雫をあおった。


 生き血を啜りながら、千の時を重ねたあたしを、あなたは抱きしめてくれますか?

【雨夜の星】

 舌でぺろりと唇を舐める。心の臓が暴れ、身体中に痛みが走るが、もう慣れてしまった。
 くるくると円の中で回り続ける砂時計。女の髪が明るい若葉色に変わり、肩まで短くなる。背がぐんと縮んでいき、すべらかな手のひらが、ふくりとした丸みを帯び。成年女性としては少々ささやかに膨らんだ乳房はまったいらなものへ。嫗が捧げ持った鏡でうまく思い通りの姿になったことを確かめて〝少女〟はぱちんと指を鳴らす。
 締め切られていた雨戸が全てすらりと勝手に開け放たれた。
「……ていうか、そのテンションなに。毎回趣向変えて飽きさせないようにしてくれてんの? ぶっちゃけ不気味なんだけど」
 一部に大流行のいわゆるゴスロリワンピースを恭しく差し出してくる翁の頭をしたたかにはたき、シンプルな白のタートルニットにジーンズスカートを履く。
「くっくっく……次に風伯さまが時を狂わせる際には西洋風にしようかと」
「荒れ果てた洋館もばっちり抑えておりますぞえ。ぐへへ」
 馬のいななきのような笑い声を響かせる翁と嫗にジト目をくれる。
「あたしゃ吸血鬼か。いや似たようなもんだけど、この程度の血抜かれたって貧血にもならんから。つか荒れ果てた洋館てなんだよ」
「ほれ、かの有名な英国心◯調査学会一押しの」
「これ場所ウィンブルドンなんだけど。そして記憶が確かならふつーに貴族住んでっからね!?」
 差し出された冊子を丸めて翁と嫗を思い切り叩く。ため息まじりにもう一度指を鳴らせば、かしましい翁と嫗はぽんっと膝のあたりまでに縮んだ。面はそのままに、嫗は古めかしい紅袴を穿き、翁も麻の狩衣姿。手には赤々と燃える鬼灯の提灯。気まぐれで式に下した庭の古鬼灯の化身である。
「戻す時はおっしゃってくだされ! 腰を打ちましたぞえ!」
「年寄りには優しく! 高齢化社会万歳!」
「むしろ雀の涙ほどの若者を労わるのがあたしの主義。散った散った」
 ぱんと手を叩けば鬼灯夫婦は文句を言い終える間も無くぎゃんっと鳴き声だけを残して消え去った。
 ふっと息を吐いて、露台に足を投げ出す。見上げれば今にも降り注いできそうな満天の星。
「降ってきそう」
 ――なんですか、口あけて。はしたないですよ。
「全部、金平糖だったら良いのに」
 肩をすくめてから、奥に声をかけた。
「終わったよ。入ってきて」
 襖が開かれる。廊下で深く叩頭した老婦人に苦笑して、少女は立ち上がる。
「かたいなぁ。こんな小娘に」
「見た目は、でございましょう? 風伯様であることは変わりません」
 品の良い小紋を着こなした老婦人は、流れるような所作で室内に入りまた手をつく。
「紫鳳院家御息女、無事に嵯峨のお社に入られました」
「そう。ありがと吉栄」
 彼女が持ってきた分厚い茶封筒を開き、中を確認する。
「よしよし。雅九重、ね」
 長らく封印していた名前が書かれた戸籍謄本を一瞥して仕舞う。
「それから……遠縁の、東京にいる暮羽家のことで」
「ああ、交通事故にあったんだよね。お嬢ちゃんとご両親の容体は」
「はい。両親は残念ながら……。娘の、萌は……足に少し後遺症が残るとのことですが、無事です」
 九重は頬をかいた。今生では優しい両親に囲まれて、安心だと思っていたのだけれども。うまくいかないものだ。
 どうしたものかと思案を巡らせながら目の前に座る吉栄を見た。彼女はひどく落胆した面持ちだ。さもありなん。彼女は雅野にある置屋の女将で、萌は筋が良いから将来絶対舞妓に、と考えていたのだ。日常生活に支障はない後遺症でも、舞妓にはできないだろう。
 吉栄の肩を叩いて九重は言った。
「もともとご両親はこの世界に娘を入らせることを反対してらしたよね。この世界を否定するつもりはないけど、今の時代、中卒しか肩書きが残らない舞妓や芸妓は心配。ご両親の考えは最もだと思う。まずその気持ちは尊重すべき。……分かってくれる?」
「はい……」
 数珠をたぐりながら吉栄はしおしおと項垂れる。
「ん。そしたらできるだけ早くお嬢ちゃんを雅の戸籍に移して。医療費と生活費を本家から出す」
「京都に引き取らないんですか? わたしが預かっても……」
 才豊かな子だからというだけで萌に目をかけていたわけではない吉栄が食い下がるが、それを手で制す。
「いや、あの子は一人ですると言うよ。生活費もいらないと言うかもしれないけれど、奨学金を受けるより遥かにお得だからそこらへんは上手く説得するよう東京の分家に言って」
 幼い頃は京都で暮らしていた萌の踊りの稽古ぶりを思い出す。出来るまで何度もなんども唇を噛み締めておさらいしていた女の子。甘え下手で意地っ張りが過ぎるのだと母親が漏らしていたことを思い出す。
「あとのことは追って沙汰する。以上。下がっていーよ」
 ひらりと手を振ると、まだ何か言いたげな吉栄は一礼して出て行った。やれやれと息をついてから、露台から天を仰ぐが、なんだか竹林が邪魔だった。
「よっ、と」
 丸瓦の屋根に音もなく降り立って、ごろりと横になる。今更ながらこの寒空の下、薄着すぎたかと後悔したが、放っておく。長居はしない。


『星って美味しそうだよね』
 ぽつりと零せば、九重を押し倒した時雨が眉根を寄せた。
『……それ、いま言う台詞ですか』
 瞬きをして、首を傾げた。疑問に思ったわけではなく、彼の身体が星空を見るのに邪魔だったから。
『だって美味しそう。金平糖だったら、きっと食べきれないぐらい味があるよ』
 年頃の娘にはない、戦輪の痕の残る指で空をスイッとなぞる。ため息をついて、時雨がその白い手のひらを包んだ。邪魔をされて九重はむくれた。
『なあに。悋気?』
『そうです』
 あらま。九重がきょとんとすれば、時雨は不貞腐れた表情になった。可愛いし、ちょっと嬉しい。そんな感情を不敵な笑みに変える。
『時雨、三日と開けず通ってくれてるもんねぇ』
 応えはなく、剥き出しの肩や胸元を乱暴に吸われる。ちょっと昔だったらからかいにのってくれたのに。
 ここは雅本家の奥、頭領の閨。天井には大きく丸い玻璃が埋め込まれていて、屋内でも星空を眺められる。九重が代を継いで、まっさきに改装したのがここである。重苦しい如何にもな夜の居室(いむろ)が気に入らなかったから竜巻を起こして大穴をぶち抜いた。
『……他の奴を呼ばせたくないからですよ』
 耳元に掠れた声を落としながら胸の頂を転がされて、ぴくんと身体が反応する。
『……っ、へえ……、あたしが〝側室〟作るかもって……んっ、疑ってるんだぁ』
 風雅は女の比率が多く、頭領は代々女性で、もちろん側室を持つことも許される。歴代の中にはいわゆる逆転大奥を作った女傑までもいるらしい。
『疑ってはいませんが、家老達は薦めているでしょう。しらばっくれないでくださいね』
『あたしってば、天才だからっ、ね』
 雅本家は一つの家というわけではない。集落にちかい集団が分家や雅に連なる忍びの家と一線を画すように広大な竹林に囲まれて暮らしている。その中で双子の男女が生まれれば、そのうちの女の子が次期頭領だ。
 しかし、九重は里で信仰されている風神・十六夜の再来とまで謳われる天賦の才を持っていた。彼女によって編み出された新しい術式や、体技は数え切れないほどだ。だからこそ、家老や先代は九重に子を期待している。
 双子でなくとも構わない。多ければ多いほど良い。なので里で秀でた男子とすべて契って、優れた風雅の子を生み出して欲しい。
 いくらなんでもそりゃないわー、と九重は返したのだが。
『じゃああたしが断ったのもしってんでしょ』
『はい。でも、あんた妙に割り切った所があるので』
 ささやかに膨らんだ双丘をなぞり、平らな腹を撫で、細い足の付け根の、秘された場所に触れる。
『俺以外じゃ満足できないようにしてやろうかと』
 九重はぽかりと口を開けた。目の前の彼は乳兄弟で頼りになる右腕で、絵に描いたような従順さと穏やかなところが売りだったはずではないだろうか。
『……時雨、性格変わった?』
『何言ってんですか。俺がこの立場をもぎとるのにどんだけ苦労したか。簡単にほかのやつにやるとでも?』
 時雨とは祝言みたいなものをあげたし、直下分家の出であり実力も申し分ないから、いわゆる正室というやつだ。
 小鳥のような愛撫に心地よく浸りながら九重はくすくすと笑う。
『正室の特権って、確か頭領が先に死んだ場合、一緒に風葬されるっちゅー趣味悪いのしかないはずだけど?』
『それが欲しいんです』
 少し間を置いてから、九重はうっそりと口端をあげた。
『悪趣味』
『なんとでも。だから俺に』

 ――貴女と共に往く道をください。
 馬鹿だねと九重は目を細めて、重なった時雨の唇と、彼が生み出す熱に集中した。

 ふと意識が浮上して、九重は息をついた。まんまるの月が、大分傾いている。
「……なーにが貴女と往く道だよ。ばーか。ていうか寒い!」
 ついでにいうなら、全身痛い。大幅に骨格を変えたのは数百年ぶりだ。骨が悲鳴を上げている。
「風伯さまー、母屋に床の用意が整っておりますぞえー」
 庭先を見下ろせば鬼灯の提灯が二つぶらぶらと揺れていた。懲りない世話好き妖怪だと苦笑してから、手をひらりと振って屋根から飛び降りる。
「地獄の釜から汲み上げし熱湯も封じ込めておりますからな。ウヒヒッ」
「湯たんぽねー。有難い有難い」
 丹前を着込んで提灯の後についていく。温かで柔らかい床が待っていると思うと、なんだか気が抜けてしまう。痛みと寒さが増してきた。少し熱があるかもしれない。
「……じゅうはち、怪我や病気をしたらどうせ死なないと思って放置しないこと」
「はあ?」
「なんでもなーい」
 この身体の仕組みに慣れてしまって、痛みを痛みと認識できなくなっていた頃、弟分に言われた言葉。確かに一理ある。それに。
『貴女は俺がいないと三度の飯も就寝もちゃんと出来ないんですから』
 夫にもよく迷惑千万な注意を受けていた。思い出した時はなるべく努力しようと思っている。自分なりに。
「嫗、明日朝は焼肉定食とおかゆね」
「おお、なんとアンバランスな。熱がおありならおかゆのみになされませ」
 部屋の明かりを灯しながら慇懃にさとす媼を一瞥してから、九重はごろりと布団に横になった。両側でゆらゆらと鬼灯の提灯が揺れている。
「だめだよ。今思い出したんだけど上等霜降り肉、賞味期限明日までだった」
「……ちっ」
「キミたち、あたしが忘れてたら食ってたろ」
「まさかまさか。ぐふふ」
「食べ応えがありそうだなと、日に何度も眺めていただけですぞえ」
「食う気満々じゃんか。つか冷蔵庫開け閉めすな! 電気代もったいない!」
(あ。なんか熱上がったかも。くそう。とにかく肉食おう肉。んで精力つけるんだい。あ、牛乳も飲まないとネ)
 目を閉じると、媼と翁があからさまにがっかりしたため息をつく気配がした。今夜ちょっとくすねて一杯……などと聞き捨てならないことまで囁いている。ばっちり聞こえているのだが大丈夫か。
「……一緒に食べよ。さすがにあたし一人じゃあ食べきれないから」
「ささ、風伯さま白湯にございますよ。そして身体が痛むならおもみいたしますぞえ。おいしーいお肉のために早くお休みなさいまし」
「わしは実はさぼり気味だった屋敷の掃除をいたしますからな。すすわたり、にくのためなら、こわくない!」
 態度を一変させてごまをすってくる二匹の頭に拳を落とす。特に翁の方は強めだ。それで韻を踏んでいるつもりか大和妖怪の名が泣くぞ。
 しっしっと夫婦を追いやり、湯たんぽを抱いて布団にくるまる。すぐにうつらうつらと瞼が重くなり、熱のせいか随分昔の夢を見た。

※※※


 夜明けとともに法螺貝が鳴り響く。
 紅い旗の軍勢が鬨の声を上げた。馬に跨った大将の掛け声のもと、おそらく自分自身を奮い立たせる為の兵(つわもの)達の気迫の発声。迎える白旗を掲げた軍勢が負けずに吠える。
 斥候の槍隊がぶつかりあい、やっと穂を広げたはずの薄野原は一転して血に飢えた救いようのない場所へともつれこんだ。
(……ぎりぎり風穴は避けているか……)
 一本杉の上から、冷めた目で人波を眺める。
 西と東に分かれて天下分け目の大合戦。よりによって風雅の隠れ里に被るか被らないかの場所でおっぱじめる気配を見せた時、九重は盛大に機嫌を損ねた。よそでやれ、よそで。
 まず里を護る無数の風穴に九重の髪を埋めた。次に、時の層と層の間に里だけを捻じ込む。報告から推察するに、この合戦は一日もかからずに終わるだろう。忍びは全て里の守りに。里の子ども達は気丈な様子で大人たちの指示に従っていた。
 領民と十年掛かりで作った堤が火薬で吹っ飛ばされる。九重は忌々しげに舌打ちした。
「風伯様」
「何、巽二郎」
 音もなく気配が足下に立つ。九重は視線を動かさないまま尋ねた。
「……東軍の中に、雅流体術に似た技を使う荒武者がおります」
「ああ?」
 老獪な部下からもたらされた報告に機嫌が再下降する。
「かなり腕の立つ者と見えますが……」
「あたしがいく。巽二郎、あたしが戻るまで指揮権はお前に」
「御意」
(誰じゃうちの流派使ってこんなくだらん戦に紛れてる奴は)
 一息で木から飛び降りて印咒を唱えて人から見られないように姿を消す。そのままふわりと飛翔して、戦場まで滑空した。
 土煙がもうもうと立ち込める血生臭い空間を一息の風で吹っ飛ばしてやりたい衝動を抑えながらきょろりと視線を動かして、件の荒武者を探す。
(……ん?)
 標的はすぐに見つかった。纏う気配が異様で、鼻のきく者にはすぐに異形の者だと分かってしまうだろう。あれは、人間ではない。
 若い男に見える。ざんばらの黒髪に、眼帯(どこの独眼竜だ)に、今流行りの傾き(かぶき)風の目と心に痛い装束を身に纏っている。火縄銃を二丁使っていたが、火蓋が壊れたのか、二丁とも駄目になったようだ。九重がどうするのかと観察していると、両手を打って、何もないところから火縄銃を錬成した。その、姿に。
 一瞬栗色の髪の少年が重なる。違和感。既視感。――確信。
「いないない、ばあっ」
 隙を見計らって、隠形の術を解き上から顔を覗き込んだ。すると、標的は殺気をぶわりと膨らませて短刀を九重の喉元に振るおうとして、ぎしりと固まる。
「……え」
「やっほい。よく働くねえ」
 九重は勘を外したことはないが、出来れば外れていてほしかったと少しだけ思った。だって、かの少年を最後に見たときから、七百年経っているのだ。
「……なんで」
 後ろから襲いかかってきた奴の米神に一打しながら問われて、こっちの科白だと九重は思ったが言わない。九重を指差して幽霊だとか訳の分からないことを言っている足軽がいるが無視する。
「うちの体術使う荒武者がいると聞いてぶちのめしに」
 悲鳴を上げながら刀を振りかざしてきた輩に前蹴り。足袋に仕込んだてき腿飛針が脂の乗った顔に突き刺さり、対象が泡をふきながら倒れ込む。
「……別に。もう混ざり合って純正な風雅式には程遠いですよ。……ぶちのめしますか」
 暗い。なんだかものすごく鬱になりそうな雰囲気。きっとこういう場所にいるせいだろう。目の前の少年(立派に成人しているが)は大事な弟分であった。会わないうちに根暗になったなどという悲劇にかよわい自分の心臓が持つわけがない。とりあえず。
「神隠し決定」
 むんずと少年の襟首を掴んで、自分は頭巾で目と鼻を覆う。それから吉野紙で包んだ目潰し弾(催涙弾)を思いっきり足下に叩きつけた。破裂音が響いて土気色の煙が舞う。
 咳と嗚咽が鳴り響く中、足でさっと陣を描いてその中に弟分の首をしめなおして飛び込んだ。


「げっほ、ごっほ……っ! ちょっと、なんで俺まで巻き込むんスか!」
「わー顔から出るもの全部でてるー。ちなみに焔硝(えんしょう)、生姜、塩、烏梅(うばい)、酢、胡椒、蕃椒(ばんしょう)、山椒を混ぜて卵の殻に入れて……」
「材料言わないでください! 余計くしゃみが……っくしょん!」
「そこに小川あるよ。洗えば」
 平然とせせらぎを指差されて、やるせなさを感じながら少年は小川の水で眼帯を外し顔を洗った。目と喉を念入りにすすいで、九重から差し出された手ぬぐいで水滴を拭う。その冷たさにほう、と息をついた。
 合戦の喧騒が全く届かない、大変静かな山の中。山裾を渡る風は涼やかで、ああ、いまこの国は秋なのかと今さら気付いた。
 少し迷ってから眼帯をつけ直して、振り返る。九重は背を木に預けてのんびりとしていた。少年がどうしようかと逡巡していると、九重がにやりと笑って近付いてくる。
「や、久しぶり!」
 満面の笑顔で言われて、がくっと少年は思わず肩を落とす。そういえばこの人はこういうひとだった。思い出したが、なんだかむなしくなる。そのような少年の胸中を慮るような懐の深さは九重にはなかった。
「いやあ。ほっしーだとは思わなかったよ。何年ぶりだっけ? 最後に会った時と随分服装の好み変わったねえ。それ都で流行りの傾きじゃん。なんか楽しんでるんだな―とおねえちゃんはおもいました まる」
「いや、この服装は別に俺の好みじゃないです! あと、言いたいことはわかりますけど楽しそうではないよ?! あと何年振りだっけ? っていう軽い感じで大丈夫なの、そこ?!」
「弟分との久しぶりの再会だもの。味合わなくちゃ」
 紅葉色の髪をくるりと指に巻きつけて小首を傾げてみる。相変わらず反応が面白い。打てば響くとはこのことか。そういうところ、少しだけ、時雨に似ている。
「久しぶりとかいう単位じゃないと思いますけどぉ?!」
「えー、数えんの面倒くさいし、細かい男は嫌われるんだよ?」
「別に俺はアイツにどっちかと言えば好かれてれば、後はどうでもいいです」
 成程。そういうことか。九重は表情に出さないまま少年の姿を見やる。目の前の少年は、自分の知っているままだ。しかし、纏う異形の気配の原因は、彼が惚れぬいた美しい少女絡み以外ないだろう。現在進行形でベタ惚れなのだから。
「……あなたこそ、どうしたんですか。その身体」
「見ての通りだけど。美人でしょ?」
「否定はしませんけど、のらくら交わして人の質問かわすのはあなたの悪い癖ですよ」
 言いたくないからかわしたというのに察しの悪い奴め。九重は大人げなく頬を膨らませた。
「つまんなーい。きみこそ自由奔放の限りを尽くしてたくせに! んー、まあいろいろあって死ぬのやめました」
「いろいろで片づけちゃ駄目なところ片付けてるよね? つか、俺いま『天狼』って名乗ってるんでそのあだ名やめません?」
「星じゃん。変わんないじゃん」
 変わるわとがなり立てる天狼を無視して草むらに足を投げ出す。少年の元々の名、そして彼が愛した少女がつけた西洋風の名前、今使っている偽名。九重にとっては全部ひっくるめて星であるから間違ってはいない。
「大体お互いワケありなのはもうバレてるんだし、大和の秋を満喫しようと思わないの~? みずみずしい桔梗に、可憐な白い野菊。美しいね~」
「あなた俺と会話する気ありますか!? ないよね!」
 ふと控えめに揺れる薄紫の藤袴が目に入る。一輪摘み取って天狼の髪にぶっ挿す。うん似合う。可愛い可愛い。優しく頭を撫でてみせるとかつての弟分は諦めたようにため息をついた。
「……時雨さん、ですか」
 藤袴の花言葉ーー『あの日を思い出す』
 九重はたてた片膝に顎をのせてせせらぎを見つめる。
「あたしがこういう姿を選ぶのは、お姫か時雨が原因か、どっちかでしかあり得ないよ」
 九重が執着するのは、この二人だけ。それ以外は割とどうでも良い。天狼は髪にささった藤袴を抜くと、くるりと手の中で回した。
「……俺は、そういう道を選んじまうような感情を知ってるから、時雨さんかなと思ったんですよ」
 大人になったなと、九重は喜びながらもほんのり苦い心持ちになる。そう、死ぬのをやめるなんて生き方、自分の主君が許すわけない。だから。
「あたしにここまでさせたのは時雨が最初で最後だなぁ」
「何があったか、聞いても?」
 気付かれないよう瞼をそっと閉じた。
 貴布祢に、とある洞窟がある。入ったものは必ず迷う、不帰(かえらず)の穴。暗い、昏い、その奥には、鬼の国があるのだと恐れられる場所。
 あながち間違っていない。最奥には都を脅かした妖異が封印されている。だからこそ、千年前、九重が誰も近づけないよう術をかけたのだ。
「……丁度、お姫が亡くなった年かね。あたしと時雨にやっとこさ子どもができて」
 何をどう話せば。あの日起きたことに感情を交えず伝えるのは難しい。なるべくそっけなく、なんでもないことのように。心配されることには慣れていないから。
「その子が生まれた日に、時雨は変幻が得意の妖異を倒す仕事を請け負っていたんだけれど」
 冗談ではなく本気で死を覚悟した陣痛を乗り越え、待望の第一子が誕生。後産も問題なく終わり、恐々と赤子を抱いていた、その時。
「同族を庇って」
 草笛を吹く。音が高く遠く響いて木々のざわめきに消えた。
「駆けつけた時、もう時雨は妖異に絡めとられてた。……自分から突っ込んだんだろうね」
『このまま封じてください』
 いつものように、少し困った笑みで。立ちすくんでいた九重は、倒れた同族を見て我に返った。さあっと血の気が引いていく。自分ができること。その選択肢の少なさに愕然とする。
「あたしが全快だったら、もしかしたら助けられたかもしれないけど」
(――赤子(やや)さえ産まなければ)
 九重は確かにそう思った。生まれたばかりの子を、間違いなく自分が腹を痛めて産んだ子を、憎んだ。
「妖異がよりによって黄泉の瘴穴ぶちあけたもんだから、それを塞ぐ要が必要で。……時雨がその要になるのが最良だった」
 穿たれた瘴穴から吹き荒れる邪気が都に、御所に、この国を護る結界を結ぶ神宮を穢す。それだけは避けなければいけなかった。
 唯一無二の主君が、命を削りながら浄化した場所を、守らなくては。
 時雨の霊力の全てを瘴気とぶつけて相殺させる。余波が及ぶ前に、彼と妖異を閉じ込める。時雨なら可能だ。充分妖異を打ち消す霊力を持っている。全神経を霊力に集中させて、仮死状態になれば。
「それで、津鬼の末っ子に頼んで妖異と時雨を氷で閉じ込めた。完全に時雨が妖異を鎮めれば氷が解けるよう。まあそれには、ざっと千年ぐらいかかるらしくて」
 あの子には辛いことをさせてしまった。とうの昔に亡くなってしまった主君の忘れ形見は、あの時まだ十四歳だったのに。母を亡くした悼みから、抜け出しきっていなかったのに。
 全て終わってから、ごめんなさいと顔を歪める幼い子に、九重は微笑んだ。どうして謝るの。お礼を言わせてと。実際あの凶悪な妖異を凍らせる実力を持っていたのはあの子一人だったのだから。
「……本当に千年経てば時雨が目を覚ます保証はどこにもないけど、まあ可能性がある限り、待ってたいじゃん」
 半分は本音。半分は嘘。主君を喪って、半身をもぎとられた自分はもう人として生きたくはなかった。なにより、ほんの一瞬でも、実の子を憎むような女は、化け物になった方がお似合いだろう。
「……何だかアレみたいですね。いばら姫」
 ああそういえばそういう物語が海の向こうにあったっけ。九重はため息をつく。
「……生まれた子は人に預けちゃった。死ぬのをやめたかったから」
 胸から下げた小さな砂時計を袷から引っ張り出す。風雅の神宝(かんだから)のひとつ、〝時の砂〟に一度触れれば、首と胴体を切り離されない限り、自由自在に自分の時を動かしながら半永久的に生きることができる。
 神宝を勝手に使ったことは咎められたが、半永久的に里を守り導いていくことができると家老達を説き伏せた。実際、子どもを産むよりずっと生産性が高い。以来折を見て姿を変えて風雅を盛り立ててきた。今では十六夜に並んで神に片足を突っ込んだ風伯として信仰されている。
「まあ化け物に近いけどね。姿帰る時、少量だけど生き血必要なんだ」
「……それ、身体、大丈夫なんですか? 何か大層、負荷かかりそうですけど」
「あー……、すんごい痛いけど、慣れちゃった」
 だって、化物だし。もともと痛覚は鈍い方だったし。九重が両膝を抱えると、天狼が神妙な顔つきで見つめて来た。
「……よくないですよ、それ」
「ほへ」
「『じゅうはち、怪我や病気をしたらどうせ死なないと思って放置しないこと』人の身体はよくないことを痛みとして感じるんだから、よくない。そういう感覚は人を殺すから、よくない……そう言ってました」
 誰が、と聞くのは野暮だろう。じっと見つめて来る瞳をうけて、さり気なく目をそらした。
(『人』を殺すから……よくない、ね)
 そこが一番ぐさりと来た。遠まわしに人として生きることを放り投げた自分を諫めるように。
 人間としての感情、感覚は〝時の砂〟を使っても、消せない。
『これは、化物になる薬じゃああらへんよ。さみしんぼの九重にはすすめられやしまへん』
 最後まで反対した先代頭領の言葉がふと浮かんでくる。その時は分からなかった。分かろうとしなかった。けれど、ああ、そうか。そういう意味だったのか。
 心中で先代に詫びながら、くすりと微笑む。遠くの法螺貝が聴こえて、九重はすらりと立ち上がった。
「ねえ、ほっしー。たまには挨拶の一つよこしてね」
「…そうですね。気が向いて、そのとき連絡手段が手元にあったら」
「親しき仲にも礼儀あり、だからね? あ、良いことを教えてあげよう。もうこの合戦は終わったよ」
「はあっ?!」
 ふわりと浮かびあがって、ざんばらの黒髪をかき混ぜる。いつ会えるかは分からないが、無為に待ち続ける時間の中に楽しみがひとつ増えて九重はご機嫌だった。
「またね」
 手を振って破顔すると、星の名を持った少年は、頷いて笑い返してきた。
 高く飛翔して、戦場ではなく山の峰の方を見ると、木々が淡く色づいていることに気付く。そういえば、自分の好きな季節は秋だった。

※※※


 ふと目を開けると、板張りの天井が見えた。障子からは眩しい光が差している。
 もそもそと起きあがり、跳ねた髪を撫でつけて、大きな欠伸を一つ。
「随分昔の夢みたなあ……」
 伸びをして、障子を開ける。雨戸は鬼灯夫婦が開けておいてくれたのだろう。どんなに酒盛りしても朝日とともに起きるのだから、年の割に元気なものだ。
 朝日を受けて朱鷺色に輝く千年の都を見下ろす。足下を這い上がる寒気もいっそ清々しい冬の朝(つとめて)だ。
「ひいふうみい……。あいつ三百年音沙汰なしか」
 夢に出て来た星の少年を思い浮かべて、口端を釣り上げる。
「次に会ったらどうしてやろっかな」
 ランチ、スイーツ、ディナーぐらいは奢ってもらわねばなるまい。千年たっても乙女の心を癒すのは美味しいもの、特に甘いものだ。恋バナがあったらもっと最高だが、さてどうだろう。
 九重はくるりと踵を返して、朝ごはんを食べるべく囲炉裏のある土間まで向かうことにした。


ー「花」に続くー
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